dasaionnaの日記

人から学び、自分を作る。

人が好きで人が嫌いで人が好き

しばらくして。しばらくして。

私は急性の統合失調になり、回復しつつある。実際にされた嫌がらせと、それが起因で増幅してしまった幻聴に数週間前まで悩まされていた。だいたい20代が発症する症状だが、私は30代真ん中で発症したわけだ。クリニックで処方され、今は大丈夫な風になってきた。

ネット社会では、一つ単語を選んで「検索」をかけるとその単語に関連した文章や単語がざーっとリストアップされる。それと同じで「被害」意識というものは元々ある相手への疑心暗鬼の要素が絡んで、自分の脳が勝手に自分に関係するような「文章や単語」を周囲の会話から拾う。そして「私は悪く思われている」とつい思考してしまうのだ。だから「幻聴」へと今回発展していってしまったのかもしれない。一部の人に悪く言われたのは事実であるとして、私に幻聴はあったようだ。脳を大切にしようと思った。私には守ってくれる人がいたが、一人きりで生きていかなくてはならない人にとってはこういう病気にかかるととても辛いだろう。精神のこととなると関わりたくないと思う人が多いから。それと、今回自分がこういうエキセントリックな体験を初めてしたことによって不要なつぶやきはしないようにしようと思った。なぜならその行為が、相手が現在抱えている心理的プレッシャー状態によっては「その人を攻撃する幻聴」と判断されかねないからだ。なんだか窮屈だな。でもそういう時代ゆえに胸を張って「私は私であるだけで素晴らしいのじゃ」と大の字になって自分を豊かにして毎日眠ることとしよう。

ハートが痛いな

家族を愛し、友人を愛し、人をたとえば何か社会で軽〜中程度の失敗した人を中傷するようなことはせず、黙ってその人が己の過ちに気づいてポジティブな本来の生まれたての明るさ豊かさを取り戻すのを見守り、自分は自分の本来持つ能力の豊かさ、本分に導かれて仕事・家庭・社会を大切にできる人になりたい。このくだらない時代にいながらなんて難しいことなんだろう。私はスマホを持たずLINEがよくわからない。(できればこのままわからないままでいたい。)だから今周囲のみんなが社会のひずみを見聞するたびに、グルグルおかしな方向に回転しているのをどうにも止められない。ニュースを見る度に事件と無関係の皆が「生きづらい情報社会の中で、自分の心の中の正義を確認したいため」被害者加害者への中傷合戦をスマホなどでやっているような気がしてしまう。皆が自分の幸せを作っていくこと、または幸せを立て直していくことに90%集中して、残り10%を友人他人への愛に捧げればいい気がしてる。自分が満たされれば他人をこきおろす気持ちなんか起きないだろうから。心が成長していない中高生の場合だと「ある種の猥雑な内容のニュース」に触れると最終的に「この人が悪い」と犯人探しすることで問題解決を図ろうとしてしまう。

悪いニュースがあったら「双方気の毒だね、被害に合われた方、傷ついた人をそっとしよう」程度で全くの他人は思いを口にするのを最小限とどめて時間が立つのを待つ生き方が優しいだろう。もちろん殺人とか戦争とかは大きな声をあげなくてはならない。全く別問題の次元のニュースであるから。(南スーダンとかISとか。)

 

色々心が疲れるから、ブーニンのMozartでも聴こう。彼は心の明るさの天才だもの。

くだらないことと、良い思い出。

近所の子供の嫌がらせで、ちょっとある種の精神疾患に一時的にかかっている。

このブログを詮索されるのでは、とすら疑うくらい疑心暗鬼になったりしてしまうような疾患の一種だ。

そんな自分は今までいなかった。休養目的で母に連れられ、実家に滞在している。何もすることがない、わけではないが何もすることがないに等しいくらいだ。草むしりなどをして手伝いをしたり、ご飯を手伝ったりするくらい。

一緒に暮らしてみてわかったのは、父も母も知らない間にとっても肉体が衰えてきつつあるという事実。その事実にいつかは去ってしまう父と母がいることが確実であり、今、とても悲しい気持ちになっている。と同時に、去った人、たとえば私の母方の祖父が私が赤ちゃんの頃に買ってくれた日本の昔話が描かれたタンスを見つめては、たとえそれが祖父がなんの特別な気もなく購入を決めたデザインだったとしても、そこに孫と娘夫婦を思った祖父の「愛情」を感じることができる。

思い出って素晴らしい。いい思い出がある人は、なるほど「愛」を感じて生きていくことができるのか。じゃあ、いい思い出を作ろう。私は今住んでるアパートで怒りっぽい隣人たちに辟易してるので、ここを引っ越せば状態は大きく変わるはず。元気になることができるはず。そして私があることをやめればいい。それは老人のようにいっときにの思いを「つぶやく」こと。こればっかりしてるからパートナーの夫はつらいかもしれない。これを一切やめること。感想とかを言わないとかではなく、ニュースを見聞きするたびにあーだこーだあんまり言わないようにしよう。心のなかで思っていればだいたいいい話。なんでも言いたがる病気に知らない間にはまっていたのかもしれない。気をつけよう。つぶやくならこうやってブログで済むし。

夫は、一昨日、昨日と私を気遣って、いろいろ家事を無言で行ってくれた。

彼には本当に感謝している。こんなすごい人と結婚できたなんて自分は恵まれているのだから、そのことを毎日なにかの節に刻んで、元気を取り戻したいと思う。

彼は、間違いなく、自分を持っている。

多分、それは永遠に変わらなくて、何事にも動じないすごい能力を持っているんだと思う。私も頑張ろう。

私の夫のいいところ。

普段は控えめだけど、自分をしっかり持っている。

自分に非がないのに、自分が小さくなっている私に対して

「こっちは何も悪くないのに、なんでそんなにコソコソしなきゃならないんだよ。そんなのおかしいよ。」と声を出して言ってくれた。

ヒヤヒヤしたけど、でも、本当に彼の言う通りだ。

今日はなんとか頑張ろう。