dasaionnaの日記

人から学び、自分を作る。

回想1

去年の10月後半から今年の3月にかけて、約5ヶ月ほど実家にお世話になった。11月の頃は母に連れられてクリスチャンの会衆に行っても、気分には重さが残っていた。クリスチャンの人たちも心配してくれたほどだ。バイトをしていなかった頃は平のおばさんを伴って高山へ出かけてユニクロに行ったり、帰りにスタバに行ったこともあった。きょんちゃん達とも出かけたこともあったっけ。今思えば日記書いておけば良かったな。平のおばさんとは、高山からの帰り道自動車事故の渋滞で「トイレ」の寄り道した事件が傑作だった。道の駅でよくリンゴを買ったな。どこのリンゴも美味しかった。このおばさんにはスーパーの寄り道のたびに「ぶりの刺身」をよく買ってもらったな。母がよく「えーまた刺身ー?」と言っていたっけ。こうしておばさん達とは買い物を通しての絡みも多かったが、その間父とはそんなに交流はなかった。12月に入ってからは変わった。父が毎朝送り迎えをしてくれた。雪も降る日も、雨の日も、晴れの日も、くもりの日も。7時半にここを出て、7時43分になるまでスーパーの駐車場でFMラジオを聴く。12時になっても私が終わらないときは母に内緒で父はパン屋で菓子パンを買って食べていたっけ。私も迎えに来てもらう前にメロンパンを続けて買って食べてたことがあったな。スーパーのみんなは優しかった。お菓子を貰うこともあったし、お惣菜を作る過程で出た失敗作をみんなでしゃがんで食べたこともあったし、デリカコーナーのバイトはなんだかんだ言いながら連帯感はあった。私はたかこさんと惣菜を陳列するのがなじんできたとこだった。年末、正月、節分と大量にオードブルやら巻き寿司やらを作ったな。相津さんがシフォンケーキとコーヒーのスティックを差し入れしてくれた。会議室で高校生のアルバイトの子達とおばちゃん達と机を囲んでお昼を食べたっけな。節分の日のときは海老かつ太巻きを食べたんだよな。美味しかったな。最初の頃は緊張があったけど、それも相津さんが送り迎えをしてくれたりして心が緊張が解けていったな。本当にいい人だった。4時間だけの朝バイトはちょうどいい刺激だった。私は雪の日の寂しい感じの中、蛍光灯が黄緑っぽい中、ビニールの床を歩きながらの1日の始まりのときはなんともいえない感覚があった。

きょんちゃんも色々助けてくれた。散歩に連れてってくれたこともあった。旦那さんが夕方流れてくる音楽を口ずさんでくれたときは、なんかすごくほっこりした。小さな旦那さんだ。雪の日はコタツに入れてもらってみかんを食べて母を待ってたりしたな。温泉にも連れ出してくれたっけ。家族同士で行くときもあれば、女性だけで行くときもあったな。白鷺の湯が一番良かった。ひめしゃがにも行ったし、名前は忘れたけど青いタイルの浴槽の湯も良かった。相変わらずクリスチャンの話をしてくれることが多かったし、車内の音楽もそれに関連した曲が多かったけれど、いつも気にかけて笑ってくれた。優しい人だ。さやかちゃんとも一緒にバイトしたんだったよな。確か彼女が来たのは12月。早いものだよな。彼女もここを去っていくし私も去っていく。春は始まりと別れの季節だ。